もりぐち歴史館(旧中西家住宅)に2018年6月に行ってまいりました。
住宅地にある「もりぐち歴史観」。
受付に人がいなく、しばし待つと作業をしていた方が受付をしてくださいました。
(翌日にイベントがあったため設営の準備を皆さんでされていました。)
敷地内に入ると、年配の男性が作業を中断し案内をしてくださいました。
まずは写真左の蔵から見せていただきました。
中西家は近世初期に尾張徳川家と姻戚関係にあったので、徳川家の家紋が入った長持などの品々が展示されていました。中西家の蔵、ということで、年代物のミシンもありました。
蔵の後は、主家に入り説明を受けました。
母屋は平成に修繕されており、その際、奈良の吉野から柱などをヘリコプターで運んできて修繕を行ったそうです。敷地は京都の寺院などと比べると大きくない屋敷ですので、想った以上の大規模修繕に驚きました。
主屋には蟇股があり、これは有力な家や神社仏閣で屋根の下についてあり、当時の社会的地位の証明でもあったそうです。
今は誰でも上がれる大玄関ですが、昔は身分の高い方しか使えない玄関だったそうです。
大玄関は高い上がり框になっており、輿からそのまま降りれるように作られたためだそうです。
主屋に入ると大きな弓があり、それをもって戦に出たらしい、とか。弓は反対にして打つと威力が増すから、反対にして使っていたそうだ、など伺いました。
甲冑もあり、兜を被らせていただきました。ずっしり重く、昔の方はこれを被って動いていたとは驚きでした。
天井が低い部屋、高い部屋があり、天井が低い部屋は刀を振り回せないよう防衛のため、逆に天井が高い部屋は刀を使い防犯のためだそうです。
部屋から外へ出る仕掛けがあり、侵入者などの危険があった際、外に出て庭へでて脱出する経路が確保されていたそうです。
二角の縁側雨戸が1か所にまとめられる工夫を実践して見せてくださり、先人の知恵に興奮しました。
母屋にも葵の御紋が入った品々が展示されていました。
説明をいただいた後、屋敷のお庭外周りを拝見しました。
庭には桐の木が植えてあり、これは家に娘さんが生まれたら植え、結婚するときに、その木で箪笥を作るために植えられたそうです。
他にも昔の脱穀するための木製農具や、家の遣いを待つ場所などがあり、名家の名残を随所に感じられる施設でした。(昔は、門で守衛担当に来訪を告げ、主屋に伝達し部屋に挙げてもらうため、かなり時間がかかったそうです)
江戸時代の名家の生活を垣間見れる邸宅でした。
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